核政策情報



核政策の経緯

1946.1.24

第1回国際連合総会の中で、核兵器の完全な廃絶を求め、核兵器に対処するための委員会を設置。


1954.3.1

アメリカ・ビキニ環礁において、キャッスル作戦の一環として核実験を実施(ブラボー実験)。

実験当時としてはアメリカの最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核爆弾であり、150km以上離れた場所にいた第五福竜丸が被爆。同年末までに 856 隻が放射能に汚染されたマグロを水揚げしている。


1955.7.9

イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルとアメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン、その他9人の科学者の連名により、ラッセル=アインシュタイン宣言提示。


1958.2.17

イギリスの核軍縮キャンペーンにおいて、第1回会議が開催。


1959.12.1

「南極での核爆発と放射性廃棄物の処分は禁止される」と定めた南極条約が、ワシントンで署名される。


1963.8.5

地下を除く大気圏内、宇宙空間および水中における核爆発を伴う実験の禁止を定めた部分的核実験禁止条約がアメリカ、イギリス、ソ連との間で調印。


1967.2.14

中南米地域の核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・貯蔵・配備等を禁止するトラテロルコ条約にラテンアメリカ14か国が署名。翌年4月22日に発効した。


1968.7.1

核軍縮を目的にアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国の5か国以外の核兵器の保有を禁止する核不拡散防止条約(NPT)に最初の62か国が調印。1970年3月5日に発効した。


1972.5.26

アメリカとソ連の間で、弾道弾迎撃ミサイルの配備を制限した弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)が締結。同年10月3日に発効した。

2001年12月13日、新たに推進していたミサイル防衛計画の妨げとなることを理由に脱退をロシアに通告し、翌年6月13日に事実上無効化した。


1980.12

核戦争を医療関係者の立場から防止する活動を行うための国際組織として核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が設立。本部はモールデン(マサチューセッツ州)、各国に支部があり、日本支部の事務局は広島県医師会内にある。1981年以来、隔年で世界会議と地域会議を開催しており、1985年にノーベル平和賞を受賞。2012年の20回目の世界大会は、23年ぶりに日本で開催された。


1985.8.6

南太平洋の非核兵器化を定めた南太平洋非核地帯条約に旧南太平洋フォーラム (SPF) 加盟国8カ国が調印。翌年12月11日に発効した。


1987.12.8

中距離核戦力として定義された中射程の弾道ミサイル、巡航ミサイルを全て廃棄することを目的とする中距離核戦力全廃条約がアメリカとソ連の間で締約。2019年2月1日に本条約の破棄をソ連の後継であるロシアに通告したことをアメリカが明らかにしたことを受けて、ロシアも条約義務履行の停止を宣言したことで、破棄通告から6か月後の8月2日に失効した。


1991.7.31

アメリカとソ連が第一次戦略兵器削減条に調印。約ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)に伴って再び過熱した新冷戦が、1985年頃緩和したことに伴って促進されたもので、この条約により、保有する戦略核弾頭数の上限を6,000発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル (SLBM) や爆撃機など戦略核の運搬手段の総計を1,600機に削減されることとなった。さらに、弾道ミサイルへ装着した核弾頭数も4,900発に制限された。条約履行の確認のために査察・監視も条約に盛り込まれている。これらは条約発効後7年で達成されるとした。

ソ連の崩壊に伴い、条約の批准は1994年まで遅延しており、条約の継承国はロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウクライナとアメリカになった。


1994.12.15

第49回国際連合総会の中で、核兵器廃絶決議が賛成168カ国、反対0カ国、棄権8カ国で採択された。以後、2019年まで26年連続で採択されている。


1995.12.15

東南アジアの非核化を定めた東南アジア非核兵器地帯条約に東南アジア10か国が署名。1997年3月27日に発効した。


1996.4.11

アフリカ大陸の非核化を定めたアフリカ非核兵器地帯条約にアフリカ諸国42カ国が調印。発効に必要な28か国の批准がなかなか満たされなかったが、13年後の2009年7月15日になって発効した。


1996.9.10

宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核兵器の核実験による爆発、その他の核爆発を禁止する包括的核実験禁止条約が国連総会によって採択。日本は1996年9月24日に署名、1997年7月8日に批准した。

2020年2月現在で184カ国が署名、168カ国が批准しているが、発効要件国(アメリカ、中国、エジプト、イラン、イスラエル、北朝鮮、インド、パキスタン)の批准が完了していないため未発効である。


2002.5.24

アメリカとロシアが両国の配備済みの戦略核爆弾とその運搬手段(ICBM・SLBM・爆撃機)を2012年までに1700~2200発に削減することを定めたモスクワ条約に署名。核弾頭及びその運搬手段の廃棄義務は無く、構成も両国各々が決定することになっており、削減対象とした核弾頭の保管も可能となっていた。

2010年に新戦略兵器削減条約が締結されたことで終了した。


2006.9.8

中央アジアの非核化を定めた中央アジア核兵器地帯条約にカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国が調印。2009年3月21日に発効した。


2007.4.23

核戦争防止国際医師会議(IPPNW)を母体に、ICANがオーストラリアで発足。2011年にジュネーブに国際事務所を設置して以来、核兵器の非人道性を訴える諸国政府と協力して核兵器を国際法で禁止するキャンペーンを世界的に展開してきており、2017年の核兵器禁止条約採択に貢献したことで、同年ノーベル平和賞が授与された。


2009.4.5

アメリカとEUの初の首脳会議のためチェコを訪れたバラク・オバマ大統領(当時)は、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的責任があるとして、アメリカが先頭に立ち、核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意を明言した。この演説は首都プラハのフラチャニ広場で行ったことから「プラハ演説」と呼ばれており、アメリカ大統領として初めて「核なき世界」を目標に掲げた演説である。また、この演説と「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけ(原文:"a world without nuclear weapons")は、オバマ大統領が2009年10月9日にノーベル平和賞を受賞するきっかけとなった。


2010.4.8

2009年12月5日に次の条約を締結することなく失効した第一次戦略兵器削減条約の後継条約として、アメリカとロシアが新戦略兵器削減条約(新START)に調印。2010年9月17日にアメリカ上院外交委員会が批准承認を決議、2010年12月22日にはアメリカ上院が批准。2011年1月25日にロシアの下院が批准、2011年1月26日にはロシアの上院が批准した。


2017.7.7

核兵器の全廃と根絶を目的とした核兵器禁止条約が122か国・地域の賛成多数により採択。


2020.10.24

核兵器禁止条約の批准国が発効に必要な50か国に達し、2021年1月22日に発効することが決まった。


2021.1.22